【IoT業界探訪Vol.27】話題のスマートロック「SESAME」が考えるエコシステムとビジネス戦略とは
シリコンバレーに本拠地を置くCANDY HOUSE社は、スマートロック「SESAME」を製造するハードウェアスタートアップだ。そして、現在SESAMEを日本仕様に変更した「SESAME mini」の資金調達を、クラウドファンディングサイト「Makuake」にて行なっている。本日時点ですでに1億円近い資金調達に成功しているが、人気の要因となっているのは1万円を切るその手頃さもあるだろう。
前回の記事では、米国に次いで日本に展開することになった背景をお伝えしたが、今回の記事ではSESAMEの価格のキーとなる「製造」の部分、それを支える台湾の製造業エコシステムと、それを背景にしたSESAMEの新たなビジネス戦略について紹介しよう。
SESAMEを支える台湾製造業のエコシステムとは
スマートロック「SESAME」の製造は、近年ハードウェア業界から注目を集める「深セン」ではなく、「台湾」で行われている。あえて深センではなく台湾を選んだ理由を、CANDY HOUSEのCEO ジャーミンさんは以下のように語る。
「台湾の工場は、合意した仕様書の通りに動いてくれます。これは当たり前のようで意外とできないところが多い。さらにそれだけでなく、製造にまつわる不測の事態にもきちんと対応してくれる。少人数で事業を回す私たちが最も重視している『管理コスト』を極力減らすことができるというのが、台湾を生産拠点にしている理由です。」
では、その台湾の製造現場がどのように成り立っているのか、その特徴を紹介してみよう。
質の高い人材、ノウハウが集まる台北市
台湾の製造業は、質の高い人材が支えている。台湾人の約96%が高校卒業後も進学をし、男性は6割・女性でも3割が「理系」を選択しているという。工場で働く人材の質は高く、要所要所に熟練工の姿も見られる。現場で製造ノウハウがしっかりと継承されているところも、台湾の製造業ならではの特長だ。
特に台北市のEMSでは、製造ノウハウが豊富に集積されている。そもそもEMSは、多くの製品の製造ラインを持っているため、製造ノウハウが蓄積されやすい業種ではあるが、加えて、台北市及び近郊には鴻海精密工業(FOXCONN)を筆頭に、EMS業界の世界TOP10のうち4社が集まっている。そのため、これら企業を中心に台北市全体で製造業のノウハウが蓄積されているのだ。
※The 2018 list of the MMI Top 50 EMS providers.より抜粋 Manufacturing Market Insider調べ
その恩恵はCANDY HOUSEにとって非常にとっても大きなものだったという。
SESAMEの外装部品の量産立ち上げを例に取って説明してみよう。外装部品のライン立ち上げの中で大きなファクターは射出成形に用いられる金型の製作だ。台湾での製作にかかる期間は約7週間。深センでは同じ工程が「2週間」で行われるというから、作業工程が早いわけではない。しかし、期間の差は、作業工程の前後にあるきめ細かなレビュー、修正にかかる期間によるものだ。
この手順をふむことで、手戻りのが減り、総合的には短納期になることもあるという。またレビューの際に投入されたノウハウがCANDY HOUSEに還元にされるのも見逃せないポイントだ。
コンパクトさから生まれるスピード感
台湾の製造現場は、サッカーに例えると、丁寧に細かくパスをつないでいくようなプレイスタイルというと想像しやすいかもしれない。最短でゴールまでたどり着くわけではないが、とても安定感がある。
右上:外観検査で傷や凹みなどの整形不良の有無をチェック、
左下:テストショットなどでは形状が公差範囲に入っているかを3次元測定器で細かくチェックする、
右下:外観検査や3次元測定器でのチェックから金型修正が必要であれば即座に修正する。
上記の流れが同じ建物内で行われているという驚きのコンパクトさだ。
SESAMEの部品を製造する各工場はどれも台北市ないしその近郊に有るため、小規模なものが多い。しかし、それをメリットに転じ「1階で生産した部品を2階で検品し、金型を即座に修正する」といったコンパクトな体制が構築されている。また、それらの工場をマップ上で確認すると、直径15キロ圏内にすっぽりと収まってしまうことがわかる。そのため、例え問題が発生したとしても、次工程を担う工場からの指摘が入り、速やかに対応することができるのだ。
対応力の高い生産体制
今回SESAMEの生産を主導しているのは龍駿国際科技股份有限公司(DoTop)というEMS企業だ。様々な工場群の調整や材料調達、ロジスティクスなど、全ての分野に関してDoTopのプロジェクトマネージャーが一手に管理する体制を採用している。
プロジェクトマネージャーは、ハードウェアの量産に際して発生する様々な問題を豊富なノウハウで「よしなに」対応してくれる。そして顧客企業とはこまめに情報共有をしているため、安心して全てを任せることができるのだという。これは顧客企業にとっては、製造にあたって必要となる対応リソースを非常に抑えられるありがたいシステムだ。
特に少人数のスタッフから成るスタートアップ企業にとっては、シェアの獲得やサービスの開発へと注力すべきリソースを製造へと割くことは大きな損失になる。製造に関する諸問題の調整を一手に担ってくれるDoTopのような会社が重宝されるのもうなずける。
しかし、スタートアップがDoTopを利用するメリットは大きいように感じるが、DoTop側から見ると生産量が少ない製品を細かく扱うのは、大規模案件と比べて割に合わないのではないだろうか。
DoTopのSESAME mini担当のプロジェクトマネージャー星野準二さんはこう語る。
「中国本土やASEAN諸国に比べて、台湾が優位にあるのは、製造ノウハウや多品種少量生産、スピード感、スケーラビリティです。このような生産体制にマッチした顧客企業として、ハードウェアスタートアップから注目されるようになりました。」
「弊社では、EMS業界内でも早くからスタートアップ企業に重点を置き始め、『モノの作り方がわからない』レベルのスタートアップに対しても、顧客を育てる目的で手厚いサポートをするようになりました。その結果、現在では取引の20%ほどがハードウェアスタートアップの案件となってきています。」
これらのスタートアップが、大きく羽ばたいたときに、育てたコストを回収するというところに一つの狙いがあるようだ。しかしもちろん、大きくなったタイミングで、台湾を去ってしまう可能性もある。星野さんはそれについてこう語る。
「たとえ、そうなったとしても、あらたな製品分野が開拓されることによって、サプライチェーンのどこかを担う我々のエコシステムにとってはプラスになるので構いません」
そう語る星野さんの表情に余裕ぶった様子はない。
「中国の製造拠点を使いこなすことでプレゼンスを発揮してきた台湾も、中国の人件費高騰から自国内のリソースの見直し、『回台(台湾への回帰)』が始まっていました。それに加えてここ数ヶ月の米中の対決姿勢から政治リスクが急速に高まっています。いま『回台』の流れに乗れるかどうかは死活問題。そのためにもスタートアップとの連携は台湾の製造業にとって重要な問題なのです。」
そこにあるのは、モノづくりで生きていくことに対して台湾全体で一丸になって道を切り開いていく覚悟だ。この覚悟に、ジャーミン氏も信頼を寄せているのだろう。
CANDY HOUSEが狙う次のビジネス
ここまで、CANDY HOUSEが台湾に生産拠点を置く理由を製造エコシステムという観点で説明してきた。ここからはCANDY HOUSEの今後のビジネスモデルの変化について触れていく。
中国では約2000社がスマートロックを製造しているといい、熾烈な市場競争が行われている。そんな中で、現在CANDY HOUSEは、台湾にある鍵の大手OEMメーカーにチップを供与し、スマートロック機能を予め持ったビルトインタイプのスマートロック分野にも足を踏み出した。これはメーカーから、プラットフォーマーに転じようという試みだ。今後CANDY HOUSEは、多くの鍵メーカーにたいしてSESAMEのクラウド部分や通信部分、スマートロックに欠かせないチップなどを供給することによって、PC界におけるインテルのようなプラットフォーマーになろうとしている。
プラットフォーマーへの第一歩と大規模実証実験
プラットフォーマーへの第一歩としてOEMメーカーへと部品供給を開始したCANDY HOUSE。
CANDY HOUSEのようなハードウェアスタートアップがOEMメーカーに技術供与することで得られるものは多い。
CANDY HOUSEがもつ通算販売台数5万台という実績はハードウェアスタートアップの中では大きな実績と言えるが、今回提携するOEM企業は年間150万台以上の鍵を生産・販売しているという。ここにCANDY HOUSEのチップが組み込まれることで、スケールメリットを活かして安く、大量に「SESAMEのサービス」を世に出すことができるのは大きなメリットと言えるだろう。
(画像クリックで動画が再生されます。)
またビルトインタイプとして、新築の大規模物件などに対して一括販売・導入が可能になることで、わざわざスマートロックを購入しようとはしない「ITに関心の薄いユーザー」に対してもサービスを提供できるのは、従来製品にはないメリットだ。
CANDY HOUSEでは現在、中国の南京市と共に、全戸にビルトインタイプのSESAMEを導入したマンション4棟を使って実証実験をする計画も進めているという。
中国の建築ラッシュは今後も続く。2000社を超えるビルトインスマートロックの業界でいかにCANDY HOUSEが食い込んでいくかはプラットフォーマー化が大きなキーになる。
さらに広がるSESAMEの世界
CANDY HOUSEのプラットフォーマー化によってSESAMEは「玄関の鍵」という狭い領域から飛び出すこともできそうだ。
私達は玄関だけでなく、オートロック部分やその他の部屋の扉、コインロッカーや自転車など、様々な場面で鍵を使っている。
それら様々なシーンに合わせた電子錠のメーカーは中国だけでも1万社を超えるという。未だスマートロック化されていない、それらの会社も、CANDY HOUSEのプラットフォームを利用すれば容易にスマートロックを製造することができるという。
前回紹介したように、オープンなAPIによるスムーズなサービス開発にくわえて、今回のプラットフォーマー化により、さらにSESAMEのハードウェア、サービスのエコシステムは広がっていくだろう。
スマートロックの普及を前提したビジネスやサービスを展開しようとした場合、連携できるハードウェアが多数あるだけでなく、多様であることはこの上ない強みだ。
この強みを軸にCANDY HOUSEがどのようにスマートロック業界を広げていくかが楽しみだ。
まとめ
ハードウェアスタートアップの成長戦略における大きなポイントの一つが、『モノづくり』からいかに脱却していくかだ。
今回紹介したCANDY HOUSEは、通常の鍵を利用しているユーザーにも導入しやすい「あと付けスマートロック」という形で「鍵のない世界」の一端を提示する製品を社会に提案した。
その次のフェーズで提案したのが、他社へアプリやクラウド、部品などの技術を提供するプラットフォーマー戦略による「あらゆる鍵がない世界の実装法」だ。
第一のフェーズでは、台湾のEMS企業を中心とした製造業エコシステム、第二のフェーズでは、プラットフォームに参加した鍵メーカーのエコシステムと協調することで、自社での「モノづくり」に対するリソースを抑制しつつスピーディに社会的なプレゼンスをあげている。
これはハードウェアを製造、販売することを主たる収益源としている既存の企業にはとりにくい。ハードウェアスタートアップならではの戦略だといえる。
「現在ファーウェイ、シャオミ、PHILIPSなどが、鍵メーカーに多額の投資をはじめています。これらの巨人がスマートロック業界に参入するまでの間にどれだけシェアを伸ばせるかが勝負です。」と語るジャーミンさん。
今後も大きな動きが予想されるスマートロック業界。その中でスタートアップ、SESAMEがどう動いていくのか、注目していきたい。