前回(前編)は手術支援ロボット「ダビンチ」の概要や特長、ロボット手術を取り巻く日本の実状を解説し、聖路加国際病院の協力でダビンチの実機を見せてもらった。聖路加国際病院は既に2011年頃からダビンチを導入し、泌尿器科を中心に2018年5月末時点で1,000件の手術を行ってきた実績がある。また昨年、ロボット手術センターを設立し、本格的にロボット支援手術の推進を始めている。
今回は、ロボット手術センターの設立の目的や役割、ロボット手術の実際や今後について聖路加国際病院に聞いた。
聖路加国際病院 ロボット手術センター設立の目的
編集部
聖路加国際病院の「ロボット手術センター」はどのような部署ですか?
利根川氏
「ロボット手術センター」は現状ではダビンチによるロボット支援手術を推進するセンターです。
聖路加国際病院は、2011年頃からダビンチを導入してきました。従来、保険診療で受けられるため泌尿器科の前立腺ガン等の症例がほとんどでしたが、2018年4月に保険の適用範囲が広くなったのをきっかけに、他の診療科でもロボット支援手術が増える可能性が高くなりました(詳細は前編参照)。
聖路加国際病院ではこうした流れをある程度予測していて、患者さんに対して「組織として安全な医療を提供する」という目的で2017年に「ロボット手術センター」を設置しました。このセンターは、ロボット手術の安全性の確保と追求のために術前・術後の症例の検証や定期的なカンファレンスを行ったり、診療科を超えてロボット手術についてのフィードバックや情報を共有する役割を担っています。
また、多くの病院では縦割り構造だったり、異なる診療科の医師が意見やアドバイスをするのは意外と難しいと言われていますが、聖路加国際病院はもともと診療科を超えて情報交換が活発だったこともあり、ロボット手術についてはこのセンターがパイプ役となって、更に活発に情報を共有したり、研修等を行ってスキルの向上を目指します。具体的には、ロボット手術は泌尿器科が先行してきましたので、ロボット手術で実績と経験が豊富な泌尿器科の服部先生が他の診療科の先生やチームにも知見を提供して頂いています。これにより、いち早く質の高い、安全な医療を患者の皆様に提供していけると考えています。
ダビンチによる手術を行うにはダビンチの販売元であるインテュイティブサージカル社のライセンスを取得する必要がある。執刀医師や助手、臨床工学技士、看護士などが参加し、操作を含めたロボット手術に関わる研修を受ける。というのも、ライセンスを持ったメンバーでチーム構成され、なおかつ腹腔鏡手術の実績などが十分にあることをロボット支援手術を行う条件とすることで安全性を確保している。
利根川氏
「ロボット手術センター」のもうひとつの役割として「健全な経営を行う」という点があります。ダビンチはとても高価なロボットで、ダビンチが手術に使用する器具や材料、消耗品にも大きなランニングコストがかかっています。これも組織として正常に管理・運営していかなければ、継続的に質の高いロボット手術を提供していけません。その役割もロボット手術センターは担っています。
「ロボット手術センター」と同時に「高難度新規医療技術評価部」を設置しました。こちらでは難易度が高かったり、最先端の医療について検証したり評価をしています。ロボット手術に限らず、先進医療全般でも新しい治療を幅広く展開していきます。
ダビンチの特長と、実用性の実際
次に、実際にダビンチで手術経験が豊富なロボット手術センター長の服部医師に話を聞いた。
編集部
従来の腹腔鏡手術とダビンチによるロボット支援手術の違いを具体的に教えて頂けますか
服部医師
ロボット支援手術のメリットはいくつかありますが、そのひとつが「手ぶれ問題の解消」です。
手術はチームで行います。従来の腹腔鏡手術では、2Dの内視鏡カメラを持つ人、中心になって執刀する医師、助手など、複数のメンバーが分担して作業します。鉗子などの長い棒の器具をお腹の中に入れて、モニタ画面を見ながら協働で手術しますが、時に人が持つカメラや器具が震えて手ぶれが起こるという課題がありました。
一方、ダビンチには3Dの立体視カメラが導入されています。3Dカメラや鉗子などのアームはロボットですから手ぶれすることはなく、数時間に及ぶ手術であってもカメラや鉗子を持つ手が疲れることもありません。
編集部
手術がやりやすく、正確性が上がるということですね
服部医師
従来の腹腔鏡手術では、先端が曲がらない真っ直ぐな棒の鉗子などで行っていました。動かすことができる方向に制限があるため、自由度の低い中で切る、縫うといった操作を医師は自らの経験とスキルで行ってきたと言えるでしょう。
一方、ロボット支援手術の場合、先端の鉗子部に関節があるため、切る、縫う作業を理想的な方向や角度で行うことができます。また患部の細かい手術のときは、カメラをとても接近させて作業できます。例えば、血管に沿って傷つけないよう組織を切っていく場合などは、カメラや鉗子や尖刀等を細かく操作しますが、従来の腹腔鏡手術では手ぶれによってカメラや鉗子のブレが発生すると、危険度はそれだけ増してしまいます。
一方、先ほど説明したようにロボットが持ったカメラは手ぶれがなく画像が揺れないので、従来より接近した視界で手術ができます。更にクローズアップ機能で患部を大きく拡大表示して見たり、モーションスケールを使って、繊細で細かい作業も可能です。モーションスケールは、医師の手の動きとロボットの手の動きを1対1のスケールで伝えるのではなく、3対1や10対1など、細かい動きで操作する調節ができます。わかりやすく言えば、手元で5cm動かしても、ロボットが持った鉗子は1cmしか動かないように比率を調整することでより正確で細かい操作が可能になります。
泌尿器科の前立腺手術でなぜダビンチが多く利用されてきたのかという理由のひとつは、骨盤の中の狭い領域でも自由度の高い操作が実現できているからです。
編集部
患者にとってのメリットはなんでしょうか?
服部医師
患者にとって最も大きなメリットは、ロボット手術というより「腹腔鏡手術」が開腹手術に比べて、傷が小さく、出血量も少ない、回復期間も短く早期に社会復帰できる点です。更に、ロボット手術ではより拡大した視野の元で精緻な作業ができるので、術後の尿失禁や男性機能の温存と言った点で有利と考えられます。
編集部
泌尿器科の場合、手術のためにどれくらいの大きさの穴をいくつぐらい、身体に開けるのでしょうか
服部医師
ダビンチのアームに必要な穴の大きさは約8mmです。ただし、前立腺ガンや腎臓ガン等の組織を体内から取り出すために、8mm以上の穴が必要になるケースもあります。穴の数は少ない場合でたいていは4つです。内視鏡と両手の鉗子、更には通常、アシスタントが手術台の横について作業を行うための穴の合計です。ダビンチのアームは4本なので、手術をスムーズに行うために5つの穴を開ける場合もあります。
医師が同時に動かせるアームは2本ですが、切り換えることでもう他のカメラや鉗子類を操作することができます。手による通常の手術でも執刀医は2本の腕で鉗子類を持ち、もう1本は助手に抑えていてもらったりするので、ロボット手術でもその点は同じということですね。
技術的な課題は?
編集部
操作において、内視鏡が見えづらかったり、アームの操作で遅延を感じたり、といった不便さは感じませんか?
服部医師
視野についてはまったく不便さを感じません。3D映像で奥行きも把握できるので、ごく自然に扱うことができます。ロボットで手術をすると言っても同じ手術室内で操作しているので遅延もまったく感じません。
編集部
現在のロボット支援手術において技術的な課題はなんでしょうか?
服部医師
技術的に大きな課題は特に感じていません。あえて言うなら、ロボット操作に「触覚」がないことです。手術中に患部の硬さや柔らかさを知ることは重要な情報ですが、手で触るような触覚のフィードバックはありません。ただし、慣れてくるとロボットが押したりつまんだりしたときの映像を見て、すなわち視覚でそれらを判断できるようになりますので、ロボット手術の回数を重ねれば触覚がないことは問題にはなりません。
個人的にはアームがもう一本増えると操作性が更に向上して良いのでは、と感じています。
技術以外の課題としては、コストですね。絶対的に便利なシステムですので、コストが下がれば導入や症例は増えると思います。ランニングコストは一般の腹腔鏡手術よりもかかります。
編集部
メンテナンスや故障についてはどうでしょうか。
服部医師
メーカーによる定期メンテナンスのほか、臨床工学技士が術前と術後に必ず点検を行ったりセッティングに立ち会っています。当病院では故障等による手術の中断などは一回もありません。機械なので故障する可能性はもちろんありますが、予備部品を即座に交換することで今まで大事には至ったことはありません。
ロボット手術は今後増える?
編集部
今後は、ロボット支援手術の症例は増えていくと見込んでいますか?
服部医師
間違いなく増えると思います。課題は今申し上げたとおりコストだけです。病院がロボットを導入する費用とランニングコスト、メンテナンス費用です。4月から保険の対象となる手術が増えたので、患者さんにとっては一般の腹腔鏡手術と同じ費用になって受けやすくなります。そういったことから泌尿器科以外でも導入が活発になると予想しています。
一般の外科医師にとって、ロボットは素晴らしい道具になり得ると思っています。先ほど説明した触覚がないことなどで、心配を感じる医師もいらっしゃると思いますが、一度使ってもらえばその良さは理解されると思います。当院内でもロボット手術センターを通じて、ロボット支援手術を積極的に訴求していきたいと思っています。
遠く離れた遠隔地からのダビンチ操作で手術できる?
インタビューを通じて、ロボット支援手術の現状と実際がよく理解できた。今後についてだが、ダビンチはコクピットとロボット本体が別の機器で構成される、言わば遠隔操作ロボットだ。現在は同じ手術室の中で使用されているが、離れた遠隔地から手術ができるようになるのだろうか?
編集部
例えば、九州の大きな病院にダビンチが稼働しているとします。難易度の高い手術が必要な患者がいる場合、服部先生が東京のダビンチのコクピットから九州の患者の手術することはできるのでしょうか
服部医師
理論的にはできます。ダビンチは元々、戦場に近い病院で負傷した兵士を救うため、医師は戦場から離れた遠隔地から戦地の病院のロボットを使って手術を行うという発想から開発がはじまったものです。
しかし、実際にはそうはうまくはいきません。現状では通信のスピードの問題で画像の表示などにタイムラグが発生する可能性があります。わずかな画像の遅れやズレが違和感に繋がり、正確な手術にならない懸念があります。また手術は執刀医ひとりではなくチームで行うので、九州のチームがその手術に長けていて息の合ったメンバーでなければ、うまく進むことは限りません。
また、このご質問は将来、離島などに手術ロボットを設置して、専門医師が東京から遠隔で手術できるか、ということにも繋がると思いますが、現状ではロボットの維持コストやセッティングに臨床工学技士などの専門スタッフが必要など、様々な障壁があって使用頻度の低い病院にロボットが置いておくことは現実的ではありません。ただ、技術的には可能ですし、生命に関わる緊急の場合は将来の選択肢としては充分に考えられると思います。
ダビンチとAIが連携することで進化する可能性は?
編集部
医療分野とICT技術と言えば、「AI」が進出することに期待を寄せている人も多いと思います。先生はダビンチとAI技術が合わさって、今後に期待するようなことは現時点でありますか?
服部医師
ダビンチにAIを加えるということは、おそらくロボット手術の完全自動化を目指す、という話になると思います。例えば、骨折した患部にボルトを入れて固定するような手術は自動化に向いているかもしれません。しかし、お腹や胸の中で行う外科手術の場合、ひとりひとり身体の内部の個人差はとても大きく、重要な血管が走っている場所も一様ではありません。そういうことから見ても内視鏡の画像からAIが正確に判断して、臓器などを切ったり縫っていくというのは相当高度な判断が必要なので、実現するのにはまだまだ時間がかかると思っています。
ただ、CT画像などの解析を学習したAIがナビゲーションするなど、医師の手術を支援するのは実現していく方向にあるかもしれませんね。トレーニングやシュミレーターにプロジェクションマッピングを使ったり、AIによって仮想のトラブルが発生するようなストーリーを組んだシュミレーションで、より実際の手術に近い学習ができるようになると素晴らしいですね。
小島医師はダビンチは手術を学習するトレーニングやシュミレータに期待を寄せる。
小島医師
開腹手術は実際に立ち会って手術を見て学ぶことが中心になります。一般の腹腔鏡手術は内視鏡の映像が残るのでビデオ映像で振り返り学習することができる利点があります。更にロボット支援技術は映像が3Dになり、シミュレータで様々なケースを学習できるようになります。ダビンチのコクピットで仮想の手術を行いながら、操作に慣れたり、経験を積むトレーニングができる点は、今後の医療業界にとってとてもプラスになると感じています。
取材を通してロボット支援手術の有用性が明確に見えてきた。保険の適用範囲も拡がったことで、今後は泌尿器科や婦人科以外にもロボット支援による腹腔鏡手術が急速に拡大していくと見られている。
現状ではコストに課題があることが明確だが、今後、同様のロボットが数多く登場すれば、価格や費用は必然的に下がっていくだろう。
ロボスタ編集部としては、ロボットが医療分野でも活躍することを期待しつつ、引き続き注目していきたい。
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神崎 洋治神崎洋治(こうざきようじ) TRISEC International,Inc.代表 「Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス」(日経BP社)や「人工知能がよ~くわかる本」(秀和システム)の著者。 デジタルカメラ、ロボット、AI、インターネット、セキュリティなどに詳しいテクニカルライター兼コンサルタント。教員免許所有。PC周辺機器メーカーで商品企画、広告、販促、イベント等の責任者を担当。インターネット黎明期に独立してシリコンバレーに渡米。アスキー特派員として海外のベンチャー企業や新製品、各種イベントを取材。日経パソコンや日経ベストPC、月刊アスキー等で連載を執筆したほか、新聞等にも数多く寄稿。IT関連の著書多数(アマゾンの著者ページ)。