【神崎洋治のロボットの衝撃 vol.3】Pepperは「エヴァ初号機」か、それとも「使徒」か?
中川さんは面白いことを言う。
中川「Pepper誕生の衝撃はエヴァで言うとファーストインパクトみたいなものです」
中川さんが”エヴァ”を引き合いに出した時点で、こちらは面食らって思わずひるんでしまいました。しかし、あまりに興味深いひとことだったのでスルーすることもできずに私はすぐさま当たり障りのない質問で返しました。
著者「なるほど・・では、Pepperはエヴァ初号機ですね?」
すると中川さんは笑いながら言いました。
中川「いえいえ、使徒です」
虚をつかれたような思いでした・・・。中川さんは、本当に面白いことを言うんです。
Pepperとエヴァンゲリオン、そして使徒
中川さんとは、ロボット関連のオンラインショップや秋葉原のリアル店舗「ロボットアイル」を経営し、ロボット技術の開発でも知られる株式会社アールティの代表取締役、中川友紀子氏のことです。二足歩行ではホンダのロボット「ASIMO」が有名ですが、中川さんはホンダ社以外ではASIMO初となるオペレーターをつとめ、日本科学未来館でASIMOの関連イベントを企画したり、安全ガイドラインやプレゼンテーションのシナリオ等を作成する経歴を持っています。更に2015年は、ロボハブ(海外のロボット情報コミュニティ)による「ロボティクスで知っておくべき25人の女性」に選ばれました。
その日私は中川さんを取材でたずねていました。
最先端のロボット技術と市場に長年携わってきた専門家が見ると、ソフトバンクからコミュニケーション・ロボット「Pepper」が発表されたことはどういう意味を持つのか、ロボット業界内にとってどんな衝撃があったのか、そんな話が聞きたくて中川さんとお会いし、そして冒頭の会話に至ったのです。
中川「Pepperは”使徒”ですね」
最初は、私の書籍のタイトルが「Pepperの衝撃!」だったので、中川さんは書籍のタイトルに合わせて単に”衝撃”つながりで”ファーストインパクト”という言葉を出したのかな、と思いました。しかし、Pepperは”エヴァ初号機”ではなく、”使徒”だという返事を聞いてから深く考えずにはいられなくなりました。
なぜ、Pepperはエヴァ初号機ではなく、使徒なのか?
そして、しばらく考えた末に「あぁ、中川さんはそういうことをおっしゃっていたのかな」と、少し開眼した思いでした。
アダムとイブと禁断の果実
エヴァとはSFアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のことです。
1990年代後半を代表するアニメ作品として好評を博したので、当時魅了された人も多いと思います。
物語はとても謎めいていて、ネタバレが伴うので詳しくは書きませんが、すごく簡単に言うと、「使徒」(しと)と呼ばれる謎の生命体が襲来し、人類は生存を賭けて開発した汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」で迎え撃つというSF格闘ロボットものが基本です。この作品が多くの人々を魅了する理由はいくつかあるのですが、その中のひとつに生命とはなにか、人間とはなにか、存在とはなにか、そして感情とはなにか、といった深いテーマが描かれていることです。そして「創世記」(Genesis)と生命の起源がストーリーの題材のひとつとなっています。ちなみに新世紀エヴァンゲリオンのタイトルの英語表記はNeon Genesis EVANGELIONです。
ここからはエヴァンゲリオンではなく、創世記の話になります。
創世記はご存じ旧約聖書に記されている書で、人類の誕生に関わる「アダムとイブ(エヴァ)」のくだりがあることはよく知られていますね。翻訳や解釈によって諸説ありますが、ここでは私の知るものを紹介します。
神に作られたアダムは、エデンの園にある果実のうち、生命の実は食べても良いが、善悪の知識の木になっている「知恵の実」は食べてはいけないと厳命されます。しかし、イブが蛇にそそのかされてアダムと共に禁断の果実である知恵の実を食べてしまいます。生命の実は永遠の命、知恵の実は物事の本質を見通す力「知恵」を得ることができる実だったのです。アダムとイブが知恵の実を食べて知恵を得たことを悟った神は、彼らが生命の実をも食べて永遠の命まで持つこと、すなわち神に近い存在となるのを避けるため、エデンの園からふたりを追放し、二度と戻れないように園の門を天使たちに護らせました…
こうした過程を経て誕生した人類は「知恵」を持つ代わりに、生命は限りあるものになりました。
知恵を持つということ
「創世記の話とPepper、なんの関係があるの?」と思われるかもしれませんが、もう少し解説させてください。ここからは私の所見です。
「知恵」は他の動物にはあまり見られない特筆すべき人間の能力です。ここで言う「知恵」は「知識」とは異なります。
「知恵」と「知識」はどう違うのでしょうか。広辞苑によれば、「知識」とは「ある事項について知っていること。また、その内容。」とあります。一方、「知恵」とは「ものごとの理を悟り、適切に処理する能力。」とあります。
インターネットには「知識」が溢れています。過去から現在に至るまでの膨大な知識が蓄積され、ググれば解らないことがほぼなんでも瞬時に出てくる情報量です。多くの人がスマートフォンをいつも手にしている今では、文字通りいつでもどこでも膨大な知識に手が届く時代です。そして、その知識をどう活用するかは人間に委ねられています。
すなわち、知識はコンピュータやクラウド上に膨大に蓄積していくことができるものですが、そのことから理を悟り、適切に活用することは人間のみができる能力なのです。
やっとここでPepperが登場します。お待たせしました。
ソフトバンクグループの孫正義氏は「データは知識」「アルゴリズムは知恵」であるとしています。そして、コンピュータの急激な進化によって、将来そのアルゴリズムは開発されるだろうと言っています。アルゴリズムはプログラマーや開発者にとってはお馴染みの言葉ですが、一般の人には馴染みがないかもしれません。「計算方法」や「手順」、「やり方」と言った表現が近いでしょう。
なお、ここでいう知恵のアルゴリズムとは、自ら学習しながらやり方をプログラミングするアルゴリズムをさしています。現在のコンピュータのプログラムは人に作られたものですが、新しいコンピュータの時代では、誰かによって作られたプログラムではなく自らデータ(知識)を集積し、自ら学習しながらプログラミングするアルゴリズムが台頭しているかもしれません。
人に寄り添うロボットPepperは、最初のバージョンで人の感情が理解できる機能を持ち、一般発売開始の際に自らも擬似的な感情を持ちました。欧米の識者の中には、ロボットが感情を持つなんてことはニーズがないのだから実現はあり得ないと断言する人もいますが、そういう人は「人に寄り添うロボットを作る」という発想がないのかもしれません。感情を理解したり感情そのものを持つという機能は今後もブラッシュアップが続けられ、将来にわたって精度が向上していくでしょう。挙動や応答が更に人間に近付いていくと思います。そして、やがては知恵を持つことにも挑戦するでしょう。
ウェブのクローリングに代表されるようにデータの集積は既に自動化され、毎日刻一刻と膨大な量の知識が蓄積されています。何年も前からビッグデータの重要性が叫ばれ、膨大な情報の中から目立たないながらも重要な可能性を持ったデータを抽出するデータマイニング技術も発展しました。そして、いよいよ次のフレーズとして、膨大な知識を活用して適切に処理するアルゴリズムや自律的に必要な知識を学習して体系的に理解するアルゴリズム等、「知恵の能力」をコンピュータが持つ時代がもうすぐやってくると言われています。その実現のためのキーワードとなっているのが「ディープラーニング」や「AI(人工知能)」などの技術であり、多くの企業が開発に名乗りを上げ、アルゴリズムの研究に没頭しています。ロボットとAIは違った分野ですが、接点が多く、どちらも近い将来のキー・テクノロジーとなっています。
少し煽った言い回しをすれば、いま人間はコンピュータやロボットといった人間以外の存在に「知恵の実」を与えようとしているのです。ロボットや人工知能はそんな時代の入口に立っています。たくさんの人がPepperの誕生に衝撃を受け、その未来に注目している理由のひとつがこれなのです。
Pepperが使徒である理由
「使徒」は一般的には、使者、宣教師、愛弟子のような意味合いで使われているようですが、エヴァンゲリオンでは生命の実を食べたアダムによって生み出された生命体として描かれています。生命の実の能力を持つ使徒と、知恵の実の能力を持つ人類が存亡を賭けて戦うという見方もできます。使徒が知恵の実の能力に憧れたかどうかはわかりませんが、一方の果実のみ与えられた生物が、もう一方の実の能力に憧れるのは必然なのかもしれません。そして両方の実の能力を持ったとき、神に近い存在が誕生するのでしょうか。それはまだ誰にも解りません。
ちなみに「ファーストインパクト」とは、太古、人類の始祖となるリリスが地球に落下したことによる衝撃のことをさし、「セカンドインパクト」は西暦2000年に南極を核として起きた大爆発のことで、人類の半数が死亡した大惨事のことです。そして3番目の「サードインパクト」は人類滅亡の危機、使徒が支配する世界を暗示しています(もちろんどれも架空の話です)。
中川さんは、Pepperが登場したことにロボット新時代の幕開けを感じ、その衝撃をファーストインパクトに例えたのでしょう。そして、感情を持つ人間とは非なる者、やがて知恵を持つことに挑戦するであろうロボットの存在から、使徒に例えられたのだろうと私は解釈しました。
もしかすると、ロボットが人類を脅かす存在になる時代の幕開け、サードインパクトへのカウントダウンとして引用したのかもしれません・・が、きっとそうではないと思っています。
今度、中川さんとじっくり話をする機会があれば、真意を聞いてみたいと思っています。
あなたならどう思いますか?
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神崎 洋治神崎洋治(こうざきようじ) TRISEC International,Inc.代表 「Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス」(日経BP社)や「人工知能がよ~くわかる本」(秀和システム)の著者。 デジタルカメラ、ロボット、AI、インターネット、セキュリティなどに詳しいテクニカルライター兼コンサルタント。教員免許所有。PC周辺機器メーカーで商品企画、広告、販促、イベント等の責任者を担当。インターネット黎明期に独立してシリコンバレーに渡米。アスキー特派員として海外のベンチャー企業や新製品、各種イベントを取材。日経パソコンや日経ベストPC、月刊アスキー等で連載を執筆したほか、新聞等にも数多く寄稿。IT関連の著書多数(アマゾンの著者ページ)。