【神崎洋治のロボットの衝撃 vol.5】ビジネスを大きく変える「IBM Watson」の特長とその凄さ(1)
ソフトバンクに聞く(1) Watson導入の最適な分野とは
ある日のコールセンターでのこと。
顧客から電話が入り、オペレータが応答をはじめる。ある顧客は「iPhoneが起ち上がらないんですけど・・」と問いかけ、ある顧客は「あ、その〜、なんだっけ? アンドロイド? そうそうAndroidが開かないんだよ」とオペレータに質問する。
どうやらスマートフォンの操作で困っていて、ホーム画面が表示しないというトラブルに直面しているようだ。
オペレータは「ご使用の機種はなんでしょうか?」「電源は入っている状態でしょうか?」と、まずはトラブル状況を把握するためのいくつかの質問を顧客に投げかける。顧客からの回答が返ってくるなり、オペレータのパソコン画面に解決策や対応策として考えられる最適な回答内容が次々と表示される。
顧客とオペレータが交わしている電話の内容をコンピュータのIBM Watson(ワトソン)が聞いていて、即時処理して最適な回答や考えられる対応策を画面に表示してオペレータを支援しているのだ。
まるで映画の一場面のようだが、これは遠い未来の話ではない。すでに実現しつつある次のコンピュータ像であり、実現しようとしているのはIT関連業界で今まさに話題となっているIBM Watson(以降、Watsonと表記)だ。
そのWatson日本語版のリリースが目前に迫っている。日本IBMとWatsonの共同展開で戦略的パートナーとして提携しているソフトバンクのWatson事業推進室 ビジネス推進部の部長、立田雅人氏に話を聞いた。
いよいよリリース間近に迫ったIBM Watson日本語版
いよいよ待ちに待った「IBM Watson」日本語版のリリースが迫っています。人工知能、ドローン、ロボットなど、IT関連のビジネス業界で最近話題になっているキーワードはいろいろありますが、その中のひとつに「Watson」が挙げられます。ひとことで表現すると、自然言語を理解し、膨大なビッグデータを解析、論理的に推論して、継続的に学習することを目指しているシステムです。人間に最も近づいたシステムと言えるかもしれません。
IBMではWatsonを人工知能とは呼ばず、「コグニティブ・システム」と呼んでいます。ちょっと覚えにくい単語ですが、「コグニティブ」とは「認識知の」という意味で、IT業界では「自ら思考できる」という意味合いも持たせているようです。
「ビジネスやコンピュータのあり方を変える」とも言われ、世界的に注目を集めているWatsonですが、日本語版の開発は日本IBMとソフトバンクが共同で行っていて、戦略的パートナーとして日本市場の開拓を行っていくことを発表しています。
Watson日本語版はソフトバンクの設備を使用して、クラウド上で運用される予定です。注目すべきは、今まで自社で開発・構築した設備で運用することにこだわってきた世界的なブランドであるIBMが、同社設立100年余の歴史の中でも初めて他社の設備でシステムを運用することです。画期的な出来事であり、同時にこのプロジェクトに対する両社の本気度というか、大きな意気込みを感じます。
ちなみに前回のコラム(第4回Pepperとディープラーニング)でも触れましたが、ロボットのPepperでもWatsonの技術を導入することが予定されています。
そして、いよいよWatson日本語版のリリースが迫ってきました。
神崎(編集部)
ソフトバンクがWatsonに注目したきっかけはなんですか?
立田(敬称略)
米国のクイズ番組「ジョパディ」で、Watsonが人間のクイズ王に勝ったとき、私はシステムを開発する部署にいて、鬼頭のもとで働いていました(現 常務執行役員 兼 CISOの鬼頭 周氏)。鬼頭は番組を見てすぐに「これはすごい、コールセンター業務に使えるぞ」ということで私を連れてIBMの研究所にWatsonを見に行きました。人間のクイズ王に勝てるということはコールセンターのオペレータ業務の効率化もできるだろうと考えたのです。
当時の私にはクイズ王を破ったコンピュータがどうしてコールセンター業務の効率化に役立つのかが理解できなかったというのが本音です。全国に数カ所あるソフトバンクのコールセンターには数千席のブースがあって、ほかの企業と同様、オペレータ自身への負担の軽減や、教育を効率的に行いたいという課題を抱えています。オペレータを一人前に育てるのに長い時間がかかるので教育期間を短縮することが重要です。例えば、顧客からの電話の初期対応はWatsonが行い、簡単な質問に回答して解決できなければオペレータに回すという方法をとれば、ヒトによる対応件数を減らすことができると考えました。教育面においては対応マニュアルを読んで勉強するのも大切ですが、例題をたくさんやった方が身につくということもあって、Watsonが支援する環境は教育期間の短縮に繋がると考えました。
IBMのコンピュータと言えば、チェスのチャンピオン(人間)と勝負をして勝利したスーパーコンピュータ「ディープブルー」が有名です。それに続いて人間に挑戦するために開発されたのがWatsonです。当初の目標は「ジョパディ!」(Jeopardy!)という米国のクイズ番組で人間のクイズ王に勝つということでした。
「コンピュータなんだから知識は豊富だろう。クイズに勝って当然」と思うかもしれませんが、簡単なことではありません。むしろ当時の技術者たちは「無理だろう」とさえ思っていたのです。
Watsonは他のクイズ参加者とともに回答します。すなわち、設問は人間にむけて出された自然言語によるクイズです。ちなみに自然言語とは会話や意思の疎通に使われる言葉のことで、一般的な話し言葉をイメージすると良いでしょう。Watsonがやらなければならないのは、自然言語つまり話し言葉から質問を正確に理解し、その答えを瞬時に回答するという、コンピュータとしては大変な難題に挑戦したのです(当時は音声認識ではなくテキスト文字で設問を認識)。そして2011年2月16日(米国時間)がクイズで人間に勝利した記念日となったのです。
なお、製品としてのWatsonは百科事典のようなデータベースサービスではなく、前述したように言葉を理解して最適な情報を発見し、提示してくれるシステムであり、データは顧客ごとにカイタマイズされたものになります。
史上最強のチャンピオン解答者と対戦
神崎
Watsonについて特長や技術的なしくみ等、お聞きしたいことがたくさんあるのですが、まずは多くの読者が気になっている「どんなことに役立つものなのか」をお伺いします。Watsonの最大の特長のひとつが「自然言語を理解する」ということだと思います。たくさんの分野での利用が考えられますが、ソフトバンクではどのようなビジネス分野に提案していこうと考えていますか。
立田
ソフトバンクとしてはまずは次のような利用シーンがあると思っています(下画像)。上の段の3つ、コールセンター、ECサイト、コンシェルジュは人と人、人とマシン等のコミュニケーションをサポートするものです。下の段の3つ、マニュアル、文書検索、最適商品検索は膨大なデータから最適な情報を引き出すものです。
神崎
具体的にはWatsonを使うとこれまでとどのような違いが生まれるのでしょうか。
立田
コールセンターを例にすると、顧客とオペレータの通話をWatsonが聞いていて、やりとりの内容を理解し、オペレータの回答として最適だと思われるものをオペレータのディスプレイ画面にパッ、パッと次々に出してくるというイメージです。予め製品マニュアルやFAQ、対応履歴等の膨大な情報を保存しておき、そこからWatsonは最適な情報をみつけ出して提案します。
神崎
オペレータは顧客からの質問内容をパソコン等で入力する必要もないのですか?
立田
ありません。Watsonは通話のやりとりを聞いて、問題がどこにあるかを推測し、解決策と思われる回答をスコアの高い順にオペレータに提示していきます。
神崎
それはすごい技術ですね。コンシェルジュも同様に顧客の相談に応えるしくみですか?
立田
コンシェルジュというと特別な職業のようですが、ホテルや案内所に限らず、お客様がお店に相談に来たとき、スタッフの方とのやりとりをWatsonが理解して、参考となる情報をみつけてスタッフの方の手元のタブレット等の端末に提示します。この例ではお客様が言った「高校の同窓会」や「ワンピース」というワードから推測して、「写真に映えるカラー」を提案しています。
また、この場合は特にクライアントのCRM(Customer Relationship Management:顧客情報管理)システムと繋がっているとより効果的ですよね。お客様の情報や購買履歴等を加味した提案が可能になりますが、Watsonは既にあるCRMシステムと連携することもできる点が凄いんです。
神崎
オンラインショップ(ECサイト)ではどのような利用が可能ですか?
立田
Watsonを導入すると、ECサイトでもお客様が店頭のスタッフに相談するのと同様のことができると考えています。現在の一般的なECサイトでは検索窓があって、商品名やカテゴリー等をテキスト文字で入力すると該当する商品をみつけて表示するというしくみが主流です。ユーザが的確な言葉を入れないと希望する商品にたどり着けないという課題ですね。
神崎
オンラインショップが抱えている課題はまさにそれですよね。ECサイトは買いたい商品が決まっている人には便利だけれど、店員に相談ができない…店員に相談したい場合は店頭に足を運ぶといったユーザがほとんどです。
立田
そうなんです。例では、ECサイトにアクセスしたお客様が、入力欄に「お酒好きのお父さんに贈るプレゼントは何がいいかな?」と自然言語で入力した質問に対して、Watsonは「名前を入れた生まれ年のワイン」を提案しています。質問はキー入力だけではなくて、音声入力のインタフェースを使って、より自然に相談できるECサイトであってもいいですね。その場合は、Watsonと本当に会話をしながら適する商品を絞り込んでいくこともできると思っています。
オンラインショップでも、店頭と同じように相談ができるようになると便利だと考えるユーザは多いでしょう。また、アウトドアの服やグッズを扱うある企業の店舗では、登山用品などはプロフェッショナルなユーザとアマチュアの方とでは求める性能や機能が大きく異なりますが、販売員は対面の会話でそれを理解して顧客に最適な商品を紹介したり 提案をしていると言います。Watsonを導入することでオンラインショップでも同様の機能が実現できるかもしれません。
スキルの伝承にWatsonがひと役買う
神崎
業務マニュアルにWatsonを使うというのは?
立田:
現場には熟練者と見習いの若者はいるけれど、中堅がいないという人員問題を抱えている企業や現場も多いと聞いています。
熟練技術者の経験や知識を共有したいというニーズは以前からあって、経験や知識をまとめた業務マニュアルを作ったり、それを電子化してタブレット端末等で活用されてきました。しかし、実は多くの業務マニュアルは利用する側にもある程度のスキルがなければ使いこなせない、という課題があがってきています。例えば、見習いや初心者が問題にぶち当たったとします。しかし、それがどんな問題でどうやって原因を調べていいかがそもそも解らない、ということ等です。解決するプロセスはもちろん、調べるプロセスも単語もわからない…。高齢や中年の熟練者と若者の見習いとのやりとりを想像してみると、同じ日本語なのにもかかわらず言葉の壁もあり、若者の話す言葉が高齢の熟練者には理解できないし、熟練者が言う専門用語が若者は理解できない…いわばコミュニケーション・ギャップです。その壁や隔たりをWatsonが埋められると考えています。見習いが自分の言葉で話した内容からWatsonが的確に推測し、熟練技術者の豊富な知識から最適解を引き出すことができれば、本当に活きたマニュアルとなるのではないでしょうか。
ソフトバンク社内ではまず提案書検索に導入予定
神崎
ソフトバンクでは自社の業務にWatsonを導入して実証していく、という話を聞いていますが、実際の導入例を教えて頂けますか?
立田
コールセンターや社員サポートセンター等への導入をそれぞれ検討していますが、優先して導入を進めるのが営業部門の提案書検索システムです。
当社にはたくさんの営業担当者がいて、B to Bの営業も多くいます。過去にクライアントに提出した提案書も膨大な数で、そのファイルはそれぞれの部門ごとのサーバに保管されています。
営業担当者が業務の効率化のため、過去に作成された提案書を一部変更して利用したいと思っても、提案書はいろいろなサーバに点在しているため、従来はそれぞれのサーバに対して検索作業を行って最適な提案書を探す必要がありました。営業からの改善要求に従い、情報システム部としてはたくさんあるサーバを自動的に横断して検索するシステムを開発しました。一度の入力ですべての関連サーバを横串で検索する、エンタープライズ・サーチという考え方ですよね。
しかし、せっかく開発したシステムでしたが、営業部からは「使えない」という批判をもらいました。詳しく聞いてみると、各部門のサーバごとに思想が異なっていて、検索する際の適切なワードや言い回し等、それぞれ独自のルールが使われているため、自部署以外のサーバを検索する際には検索に最適なワードがわからない・・なんとかして欲しいというものでした。すなわち、営業が望んでいるシステムは、全サーバを横串で検索して網羅するという機能は当たり前のことで、検索するワードが曖昧でも欲しい情報が出てくるようにして欲しい、というものだったんです。いわば「××みたいなものはないかな?」と入力すれば、類推して最適なファイルを探し出してきて欲しい、というものです。
神崎
一見、わがままな意見のようにも思えますが、効率を上げたい場合のニーズというのは案外そういうものかもしれませんね
立田
そうなんです。でも、Watsonならそれが実現できると確信しました。そして試作したのがこれです。
そう言って、立田氏は同社が自社用に開発しているベータ版のシステムを実際に稼働させて見せてくれました。営業担当者と仮定した立田氏が、まず音声入力を使って自分の希望を話します。
「えっと・・A(コンビニエンスストア大手の名前)にAndroidの提案をしたいんだけど・・」(実際のデモではAはコンビニの実名で発話)
まさに話し言葉、文章には主語もないし、コンピュータが理解しやすいように単語や文節にして発話されたものでもありません。入力された音声情報が瞬時にテキストに変換されます。そのテキストが下記です。
「江藤AにAndroidの提案をしたいんだけど」
冒頭の「えっと」という言葉が「江藤」のようなテキストに変換されてしまいました。ある意味、正確に文字認識をしてテキストとして画面に表示していますが、実際には不要ないわばノイズです。
これをまず、立田氏は今までの検索エンジンでエンタープライズ・サーチを行いました。江藤Aと変換したためか「該当するファイルはみつかりませんでした」と表示され、提案書ファイルは一件も出てきませんでした。
次に、認識したテキストそのままの状態で、Watsonを使ってサーチを実行するボタンをクリックして検索をしました。すると「えっと」を「江藤」と認識したいわゆるノイズは無視され、更に一般常識としてAが「コンビニエンスストア」(小売・卸売業)であること、Androidがスマートフォンやタブレット端末であることなどの情報を正確にくみ取り、今までコンビニエンスストアや小売業にITデバイス端末を提案したときに作成された提案書ファイルがいくつか画面上にリストアップされて表示されました。
神崎
すごいですね(笑)。
立田
そう、すごいですよね。現時点でWatsonの最もすごい能力は会話や自然言語が理解できることです。先ほどのマニュアルの例でもそうですが、一般のシステムやツールを使うためには、人が使い方のトレーニングを受ける必要性があります。どうやって操作するのか、どのようなルールで入力するのか等、一生懸命勉強しなくちゃならないですよね。しかし、Watsonはコンピュータの方が人に近づいてきてくれるんです。ヒトの話を聞いて意味をわかってくれる、話の行間を読んでくれるんです。
インターネットの検索エンジンを利用する機会は多いと思いますが、現在は探したいキーワードを単語単位で区切ったり、コンピュータが解りやすいように文節を変えたり等、検索システムに合わせて人間が工夫して入力することで正しい検索結果が得られます。Watsonではコンピュータが人間の意図をくみ取って、言わば人間に合わせて回答を探してくれる、ここに大きな違いがあります。
コグニティブ・システムと未来
コグニティブ・システムはどのようにして実現されているのでしょうか。既にディープラーニングの技術が導入されていると言います。
企業がWatsonを自社のシステムで活用したいと思ったとき、どのような手順で導入すればよいのでしょうか。また、技術者がWatsonの先進技術を利用したシステムを開発するにはどうしたらよいのでしょうか。Watsonを知れば知るほど興味がどんどんと沸いてきます。
また、ソフトバンクロボティクスとIBMは、PepperとWatsonを連携させたシステムも計画していますが、具体的にはどのようなものなのでしょうか。Watsonの更に詳しい情報を含めて、引き続きこの連載コラムのソフトバンク・インタビューの続編で解説しますのでお楽しみに。
更に、Watson開発元の日本法人、日本IBMへのインタビューもお届け予定です。Watsonの技術面やしくみ、ツール群、技術者がWatsonを活用する方法などを解説します。ご期待ください。
最後に3つの動画を紹介しますので、興味があればご覧ください。
最初の動画は、開発者ではない一般の方にもオススメの動画です。 “Watsonが人々と共に生活する未来” をイメージしたドラマです。まだ実現してはいませんが、それほど遠くない未来かもしれません。
コグニティブ・コンピューティングと拓く未来
「Watsonのことを既に知っている」という読者の方は、私の連載コラムの次のWatson回まで待ちきれないかもしれないので、次の2本の動画をご覧ください(^_^)。
最初の1本は「Watson After Jeopardy!」(日本語字幕版)。ビッグデータの時代に自然言語がなぜ有効なのか、クイズ番組と次世代のコンピューティングがどうリンクするのかが解ります。
Watson After Jeopardy!
もう1本は「Building Watson」(日本語字幕版)です。20分強で少し長めの動画ですが、技術者や開発者、コグニティブ・システムを知りたいという方には興味深い内容の動画です。
Building Watson
(デービッド・フェルッチ博士 IBMリサーチ Watson研究開発リーダー)
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神崎 洋治神崎洋治(こうざきようじ) TRISEC International,Inc.代表 「Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス」(日経BP社)や「人工知能がよ~くわかる本」(秀和システム)の著者。 デジタルカメラ、ロボット、AI、インターネット、セキュリティなどに詳しいテクニカルライター兼コンサルタント。教員免許所有。PC周辺機器メーカーで商品企画、広告、販促、イベント等の責任者を担当。インターネット黎明期に独立してシリコンバレーに渡米。アスキー特派員として海外のベンチャー企業や新製品、各種イベントを取材。日経パソコンや日経ベストPC、月刊アスキー等で連載を執筆したほか、新聞等にも数多く寄稿。IT関連の著書多数(アマゾンの著者ページ)。