2016年6月、獨協医科大学で「ロボットに触れ合い、新たなテクノロジーの活用を考える授業」が行われました。これは医学部1年生を対象とした「医学情報リテラシー」科目(全15コマ)の授業のひとつで、使用したロボットはペッパーとソータ、ロボホン、そしてオハナスの4種類。総勢6台が教室に集合しました。講師の坂田先生は「将来の医療現場では、きっとロボットやAIが使われている。学生のうちからこれらのテクノロジーに触れる機会と体験が大切」と言います。
また、獨協医科大学では全く別の科目、英語の授業でもペッパーの導入を決め、4月からの運用が始まっています。今回はインタビューを交えて、医科大学で行われている授業の現場をレポートします。
授業前の教室に笑顔が溢れる
「Pepper、握手しようよ!!」
まだ授業がはじまる前、準備のために教室に配置されたPepperに気付いた学生たちが集まり話しかけます。
ひとりの学生が握手の手をさしのべました。学生を認識したPepperは元気な声で答えます。
男子学生「え? してるわぁ(笑)、そりゃあ・・」
まったく噛み合わない会話に教室内の学生からは失笑がこぼれます。
学生はそれでも諦めずに「握手しよう」とPepperに話しかけますが、やっぱりPepperは「ねぇねぇ、洗濯にペットボトルが役に立つって知ってる〜?」と学生に質問を重ねていきます。仕方なく受け応えをする学生、更に質問を重ねるPepper。「ねぇねぇ、最近の僕って可愛い〜いかなぁ?」という問いに、学生が「かわいい」と答えると、「どこがかわいいかなぁ?」と本題である握手とは全く違う方向で会話が繋がっていきます。握手に至らず教室内が諦めムードになった頃、Pepperが「あ・く・しゅ?」。教室内の学生達も注目します。Pepperは「こんな手でよければ♪」と続けて手を差し出し、ついに握手が実現。教室内には笑い声が響きました。たかが握手。されどロボットとの握手。なんとなく漂う達成感。
ロボットに触れ合い、新たなテクノロジーの活用を考える授業
ここは栃木県の獨協医科大学。この授業科目担当の坂田先生は第一回Pepperアプリコンテスト「Pepper App Challenge 2015」(PAC 2015)で「ninninPROJECT」(旧ニンニンPepper)を発表して2冠に輝いたプロジェクトチーム・ディメンティアのメンバーでもあります。高齢者介護や服薬(薬を飲む)管理にロボットが活用できないかと、早期から取り組んでいます。著者が坂田先生に初めて会ったのもPAC 2015の会場でした。
教室は、1人1台のパソコンを配置した4人掛けグループ用の円形テーブルが十数台置かれた広い場所です。複数基のプロジェクタ・スクリーンもあってスライドが投影できます。教室には3台のPepperとSota(ソータ)、RoBoHoN(ロボホン)、OHaNAS(オハナス)の計6台がセッティングされます。
当然ながら学生は将来の医師をめざす医学生。授業開始時間になると広い教室は満席に埋まりました。
授業にあたってはあらかじめ課題が出題されています。学生達はパソコンで課題を読んでレポートを提出した上で授業にのぞみます。
課題の内容は「新たなテクノロジーが医療や介護に活用される時代、4つの記事をグループ内で分担し、注目したこと、あるいは気がついたことを提出」するというもの。
4つ記事とは下記のとおりです。
2.ロボットスーツHAL、日本で医療機器として承認へ
3.人工知能が医療進出。医師の仕事はなくなる?
4.IoTが創り出す近未来のヘルスケア。誰もが健康で安心に暮らせる社会へ
今回参観した科目に関しては全15回の授業のうち、4〜5回にロボットを使用する予定とのこと。授業の冒頭でまず、学生はPepperやソータ、ロボホンと挨拶や簡単な会話を行って触れあいます。
ソータとの挨拶では、ソータ自身の録音機能を使い、学生と交わした挨拶の会話をすぐにソータが再生して歓声が上がっていました。Pepper、ソータ、ロボホン等、ロボットそれぞれがサイズも機能も違うことを学生は理解します。
ロボットと触れあった上で、ロボットや人工知能が医療や介護の現場でどのように活用される可能性があるのか、それによって社会がどう変わっていくかを学生達はグループ討論や講義によって学んでいきます。
講義では、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)が「コミュニケーションロボットを対象に、実機を介護分野で用いることによって、コミュニケーションロボットを構成する要素(機械的要素、介護技術等の人的環境、物的環境など)を分解」「今後、コミュニケーションロボットを介護分野で用いるにあたり、必要な要素を明らかにすること」を目的とした「ロボット介護機器開発・導入促進事業(基準策定・評価事業)」を進めていること、この事業推進の背景やポイントについて説明されました。
また、2013年に閣議決定された「日本再興戦略」でロボットによる新たな産業革命の実現が掲げられたこと、2015年の「ロボット新戦略」において、ロボット活用を推進すべき重点分野として介護関連があげられていることも付け加えられました。
また、医療や介護現場にロボット、人工知能、IoTが進出する現状とそれに伴う影響を解説されました。
医学生を対象とした人型ロボットによる実践的な英会話教育
獨協医科大学にはもうひとり、Pepperを授業に導入した先生がいます。英語学博士の坂本先生は「医学生を対象とした人型ロボットによる実践的な英会話教育」という研究課題で外部研究費を申請、高倍率の中でみごとに採択されました。今年の4月から既に英語の授業にPepperを導入していて「今年度から3年間で、Pepperを医療英会話に役立つ教材に育てたい」としています。
パソコンが苦手で、ましてやロボットの操作なんてとうてい無理だと思っていた坂本先生でしたが、坂田先生にPepperの実物を見せてもらってひと目惚れ、授業で使いたいと強く感じたと言います。
そう決めてからは坂田先生にコレグラフの基本的な使い方を習い、更にはアトリエ秋葉原のワークショップに参加してロボアプリの制作やPepperの制御を勉強しました。その甲斐あって、Pepperが英語を読み上げるロボアプリを自作できるようになりました。
現在は予め設定しておいた英文をPepperが読み上げ、それに続いて学生達が英語で繰り返すグループ学習を行っています。いわゆるPepper先生と複数の学生による、Repeat after meの時間に活用しています。現状ではパソコンをPepperに接続して、各種設定を変更しながら使用していますが、目標は「3年間でPepperと学生が直接医療英会話ができる段階まで可能にすること」です。
神崎(編集部)
英語の読み上げでは、Pepperはネイティブに近い発音が可能ですか?
坂本(敬称略)
はい、とても上手に発音します。英語を発話するときに声の高さやスピードが変えられる点も魅力です。学生にとって難しい発音のものはPepperがゆっくり話したり、男子学生が多いときは声を低めに設定したり、グループの技量に合わせて調整して使っています。
神崎
学生達の反応は如何ですか?
坂本
とてもいいです。今まではCDラジカセなどを使うケースが多く、Pepperを導入する前は自分でもロボットの効果については半信半疑のところがありました。しかし、CDラジカセだと無機的になってしまうところを、Pepperは顔の動きや手足を使った表現があり、抑揚もあるので、授業の雰囲気がまったく変わりました。今では学生は楽しそうに大きな声で英語を復唱しています。やはりPepperがヒト型である、という効果は大きいと感じています。
神崎
たしかにラジカセに話しかける気にはなりません(笑)
坂本
Pepperが受け答えしてくれることが嬉しいと感じる学生も多く、そのために自分も英語で話しかけようと努力する学生もいます。積極性にも変化があるように感じています。
神崎
今後はどのように発展させていく予定ですか?
坂本
医学英語、医学英会話の授業で活用していきたいと考えています。医師がどのように患者とコミュニケーションをとるかというところをロボットを教材にして実現したいと思っています。
神崎
Pepperを相手に学生がロールプレイングをする等でしょうか?
坂本
はい。英語が苦手な学生は人間相手だと英語で会話することがそもそも恥ずかしいと憶してしまうところがありますが、ロボットである程度の練習をしてから、次の段階として人と人のコミュニケーションに進めれば良い教材になるのではないかと考えています。
インタビュー中、坂本先生自身もやり甲斐を感じている表情で話してくれました。Pepperの会話能力が向上し、医学英語や受け応えを学習することができるようになると仮定すれば、学生達がいつでもPepper相手にロールプレイングを自主的に実践できる、とても役立つ教材となり得る可能性を感じました。
坂田先生に聞く「医科大学の授業にロボットを積極的に取り入れていく理由」
授業を見学させてもらった後、坂田先生にインタビューする時間をもらいました。
神崎
医科大学の授業にロボットを積極的に取り入れていく利点を改めて教えてください
坂田
学生達がつく将来の医療現場には、おそらくロボットや人工知能、IoTなどの新しいテクノロジーが関わってきているでしょう。そのため、今のうちからロボットなどの新しいテクノロジーに触れ、実感として知っておくことで、将来は積極的にこれらのテクノロジーを使っていける人材になってくれるのではないかと考えています。
新しいテクノロジーを学生たちに説明する場合、スライドで解説したり映像で見るだけでなく、触ってはじめて実感したり、しくみを理解できたり、より詳しく考えようとする、その経験が大切です。また、ロボットと言うと「怖い」「堅そう」といった、人それぞれに先入観やイメージがあります。しかし、実際に会話してみると意外に「可愛い」「面白い」と感じます。触ったり慣れることで身近に感じ、その結果新しいテクノロジーに対して抵抗感がなくなるのではないか、という狙いがあります。
神崎
実際にロボットに興味を持った学生は出てきましたか?
坂田
昨年は、授業でロボットに触れた学生の中から「もっと踏み込んで研究をしてみたい」という学生を募り、研究室で一緒にロボアプリの開発や実証実験、社会での実践体験を行いました。具体的には鹿児島県の肝付町にある高齢者介護施設にPepperを持ち込んで実証実験を行う機会を得ました。
神崎
肝付町は内之浦宇宙空間観測所があって、JAXAが小惑星探査機「はやぶさ」を打ち上げたところですね。高齢化率が高く、限界集落が多いことでも知られています。
坂田
そうです。高齢者に向けた「暮らしのロボット共創プロジェクト」が行われたところです。私達も肝付町にある高齢者介護施設で、本学の学生と大阪府立大学の学生が協力し、それぞれの学生たちが作成したロボアプリでPepperを動かして「何か高齢者の方々に役に立つことをしよう」「楽しんでもらおう」と思い、実践してきました。
神崎
具体的にはロボットはどのようなことを行ったのでしょうか
坂田
大きく分けると4つです。
高齢者全員ひとりひとりのお名前を呼ぶこと、一部の高齢者に対して服薬確認をすること、みんなで運動(体操)すること、そして一緒に写真を撮ることです。
獨協医科大学では、医学部1年生向けに、リベラルスタディー科目という幅広い分野のコースを選択できる科目を開講していますが、私は「人型ロボットプログラミング入門」コースを設けました。その中で、いくつかのアプリが作られましたが、その一つが肝付町へ持って行った体操アプリです。そのアプリは、高齢者が座ったままでもできるようにと工夫されたもので、学生たちが「コレグラフ」を用いて自作しました。
教師の立場からすれば、学生達が医療や介護の現場に新しいテクノロジーを使って何か役立つことがしたいと考える機会や経験を与えることが重要ではないかと考えています。「自分もやってみたい」という学生には広く門戸を開くことで、彼らにとって新しい社会に向かう一歩に繋がることに期待しています。
ロボットで言えば、内視鏡手術支援ロボットとして注目されている「ダヴィンチ」やロボットスーツ「HAL」などを授業でも紹介していきたいとは思っています。しかし、それらの存在を講師から紹介するだけでは聴いて終わってしまうので、重要なのは課題に対して学生が自分たちで調べ、その過程でダヴィンチなり、HALにたどり着くことで詳しく調べたり、新たに疑問や課題に気付くことが教育では重要だと思っています。
「生きる力の育成」を掲げる教育指導要領
今、教育現場もまた大きな変革に迫られています。
「教員免許更新制」が導入され、教員免許に有効期間が設けられるようになりました。教員は免許満了日までに各大学等で必修科目と選択科目を受講し、試験を受けて合格した上で教員免許の更新が行われます。
私も昨年、大学で学科を受講して受験をしてきましたが、その講義の中では改正された教育基本法や新しい学習指導要領などの説明を受けます。具体的な授業の内容や進め方は教師によって様々ですが、基本的な重点ポイントは学習指導要領に沿ったものになります。
従来のわかりやすい例では「ゆとり教育」か「詰め込み教育」かの選択もその要領の方針のひとつです。現在は「脱ゆとり教育」であることはご存じの方も多いと思いますが、学習指導要領の大きなポイントとして「生きる力の育成」が掲げられています。具体的には思考力、判断力、表現力の育成が重視しようと言うことです。
グループ討論やロールプレイングなどのコミュニケーション能力、リーダーシップ、人前でプレゼンテーションを行う能力などの育成もひとつでしょう。これらが社会で生きていくための強い力に繋がるとみられています。
坂田先生の授業ではリーダーを決めてグループ討論が行われていましたが、それもこの「生きる力の育成」のひとつです。更にはロボットとの会話体験や介護施設での実践体験を通して実践力を育む活動もこれに通じるものがあるのではないか、と感じました。
高齢者介護施設での実証実験で得た知見
ちなみに肝付町の高齢者介護施設での実証実験ではちょっとした事件がありました。詳しくは日経デジタルヘルスが「“動かないPepper”が示したこと」で伝えているので、既にご存じの方も多いでしょう。
トラブルのため本番では動作しなかったPepperに高齢者達が近寄ってきて手をさすり、励ましの言葉をかけたと言います。自分たちのために遠路はるばるやってきた、本来動くはずのPepperが動かないことに高齢者たちは気遣ったのです(その後、Pepperは無事に起動してアプリを動作させることができました)。
そのときの様子を捉えた一枚がこれです。坂田先生はこれが最もお気に入りの一枚だと言います。
神崎
肝付町などの実証実験で得られた知見を教えて頂けますか?
坂田
Pepperの起動トラブルもそうですが、現場では新たな発見がたくさんある、ということです。体操アプリ等も完成したときは「最高のものができた」と作成した学生が自負していましたが、いざ現場で使ってみると「こうした方が高齢者の方の反応はよかったに違いない」「もっとこうするべきだった」の連続でした。やはり机上で考えているだけでなく、数多くの実証実験が重要だということを痛感しました。
また、医学部の学生にとっては、介護施設で高齢者をロボットで元気づけるという貴重な経験ができたことと、地方自治体や介護施設のスタッフ、ロボット開発関連の方、そして高齢者の方々など、いろいろな分野の人たちと交流できたことが大きな経験となってよかったのではないかと感じています。
神崎
肝付町の活動は今年も行う予定ですか?
坂田
継続した取り組みにしたいと考えています。肝付町だけでなく、東京都世田谷区や栃木県上三川町の介護施設と連携し、取り組みを行っています。上三川町は本大学に近いので、産学連携の地域プロジェクトなどの関係もあり、夏祭り等で高齢者とロボットが触れあうロボアプリを展示しようという案も出ています。
神崎
ロボットが医療・介護や教育の現場で活躍しそうですね
坂田
ただ、まだ黎明期であり、試行的な取り組みに挑戦している段階だと感じています。思い起こせばパソコンが社会に登場したときや、インターネットが登場したときにも、どのように教育や医療に役立てて行けば良いのか最初は解りませんでした。その頃の状況に今のロボットや人工知能はよく似ているように思います。試行錯誤しながら、できるところから実践しつつ、次の一歩を探っているところです。
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神崎 洋治神崎洋治(こうざきようじ) TRISEC International,Inc.代表 「Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス」(日経BP社)や「人工知能がよ~くわかる本」(秀和システム)の著者。 デジタルカメラ、ロボット、AI、インターネット、セキュリティなどに詳しいテクニカルライター兼コンサルタント。教員免許所有。PC周辺機器メーカーで商品企画、広告、販促、イベント等の責任者を担当。インターネット黎明期に独立してシリコンバレーに渡米。アスキー特派員として海外のベンチャー企業や新製品、各種イベントを取材。日経パソコンや日経ベストPC、月刊アスキー等で連載を執筆したほか、新聞等にも数多く寄稿。IT関連の著書多数(アマゾンの著者ページ)。